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エッジを歩く  新刊

手紙による差別論

エッジを歩く
著者 三浦 耕吉郎
ジャンル 社会
出版年月日 2017/10/30
ISBN 9784771029361
判型・ページ数 4-6・230ページ
定価 本体2,400円+税
在庫 在庫あり
 

内容説明

その気もないのに差別させられる、現代社会における構造的差別に照準し、「差別する者であると同時にされる者」としての生の倫理のありか(=「エッジの歩き方」)を、平易な手紙文体で描きだす。フィールドと文体のコラボで紡ぐ先鋭な差別論


《目 次》
第1部 フィールドの日常/私の日常
第1の手紙 生活の深みへ
~聞き取り現場でのささいな出来事から、生活に沈潜していた被差別経験の突然の噴出が私たちにもたらす衝撃~
第2の手紙 こんなきっかけからでも
~部落に興味をもった学生の好奇心にゆれる心の彷徨~
第3の手紙 穢れとつきあう
~穢れの観念を否定しようとしない部落の人びとの柔軟な生~
第4の手紙 こっけいだった私
~その気もないのに差別させられる、現代社会における構造的差別~
第5の手紙 処世の知恵
~結婚に際して、親の差別意識との正面からの衝突を回避しつつ折り合いをつけていく処世の術~

第2部 ディスコミュニケーションのただなかへ
第1の手紙 差別ってなんだろう
~差別する側とされる側に横たわるディスコミュニケーションとは~
第2の手紙 人と人を結ぶ太鼓
~太鼓の胴をのぞいてみると、そこには歴代の太鼓師の名が…~
第3の手紙 どうしてうちの在所だけ調べるん?
~調査を断られるという得難い体験~
第4の手紙 屠場にて
~屠場でカメラをむけたときの屠夫長さんの怒りと、いまだに続く屠場差別の構造~
第5の手紙 差別者の憂鬱とともに
~思いがけず差別をしてしまった者の戸惑いと倫理とは~

第3部 エッジを歩く
第1の手紙 私の手になれますか?
~重度の身体障害者によるラディカルな問い掛けがもつ射程の広がり~
第2の手紙 ねたみ意識というけれど
~同和対策事業が地域社会になげかけた波紋を、ある差別発言から考える~
第3の手紙 死者へあてた手紙
~部落解放運動をになったある在日朝鮮人の人生の軌跡~
第4の手紙 アイデンティティ以前
~部落に嫁いだものの、住居が部落外にあることから生ずる「新しい部落問題」~
第5の手紙 あらたな始まりにむかって
~心理的差別と実態的差別という従来の枠組みを、関係的差別という視点から問い直し、「差別する者」「差別される者」「差別しない者」といった類型化に代えて、「差別する者であると同時にされる者」としての生の倫理のありかを模索する~

第4部 手紙、その後
第1章 親の戸惑い/子の戸惑い―特措法後の教育的課題―
~同和対策事業に関する特別措置法が2002年に失効して以降、部落差別や部落問題について、親や教師から直接的に教えられて来なかった世代が増えているという現実がかかえる新たな問題とは……~
第2章 〈ポスト同対法体制〉の構想に向けて
~「部落」や「部落民」を関係的カテゴリーと捉える、差別現象への関係論的アプローチを提唱~


《著者紹介》
三浦 耕吉郎(みうら こうきちろう)
現職:関西学院大学社会学部教授
専門:社会学、生活史、差別問題、質的調査法
主著:『環境と差別のクリティーク 屠場・「不法占拠」・部落差別』(新曜社、2009年),『屠場 みる・きく・たべる・かく 食肉センターで働く人びと』(編著、晃洋書房、2008年),『構造的差別のソシオグラフィ 社会を書く/差別を解く』(編著、世界思想社、2006年),『新社会学研究』(共編著、新曜社、2016年より毎年刊行),『社会学的フィールドワーク』(共編著、世界思想社、2004年)

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ためし読み

   はしがき

 「差別はいけません」「差別を無くしましょう」という呼びかけや標語は、現代社会に広く行きわたっています。それをみると、差別をしてはいけないという知識や認識は、すでに社会を構成している大多数のメンバーによって共有されているとさえいえそうです。
 ところが、現実の巷(ちまた)で起こっている出来事に目を転じてみると、出自や民族や宗教やジェンダーやセクシュアリティや職業や能力や年齢や心身の状態(障害や病)等々を理由にした差別事象には事欠きません。
 じっさい、ここ一、二年のあいだに相ついで施行された法律(障害者差別解消推進法、ヘイトスピーチ対策法、部落差別解消推進法)の存在そのものが、こうした差別問題の解決こそ、いままさに差し迫った国民的課題となっていることを告げ報せているといっても過言ではありません。
 よく考えてみると、これは不思議なことではないでしょうか。いったいどうして、人は、差別をしてはいけないとわかっていても、差別をしてしまうのでしょうか。
 端的にいって、私は、差別事象の解消を、「差別はいけません」「差別を無くしましょう」といった知識や認識の水準で図ろうとする啓発(啓蒙)の方法には、決定的な限界があると考えています。
 つまり、「(差別はいけないと)頭でわかっている」からといって、それが必ずしも、私たちがじっさいに社会的な行動をとる場面において、差別をしない(/差別を回避する)という行為選択に結びつくわけではないということです。
 これは、なんとも解きがたい社会学的な難問といわざるをえません。
 本書はこの難問にたいする私なりの挑戦の試みであると、まずは申し上げておきます。

 そのために、この本で私が採用した方法。それは、「人は、どのように差別をしているのか?」という問いのもとに、私たちの常日頃の行動をあらためて見直すとともに、被差別部落で調査をおこなっていくことでした。
 後者の調査については、最初に簡単にその概要を説明しておきたいと思います。
 私が、滋賀県の被差別部落へフィールド調査に入ったのは、一九九二年のこと。これが、私にとってはじめての部落とそこに住む人びととの出会いでした。
 それから十六、七年にわたって同県内でなされた「部落生活文化史調査」のなかでも、とりわけ前半の九〇年代にフィールドで体験した数々の出来事こそが、いまの研究者としての私を形作ったといってもけっして過言ではありません。
 本書の第1部から第3部までの文章の多くは、その九〇年代に滋賀県における三つの部落で私が遭遇した出来事やうかがったライフヒストリーを中心にまとめたものです。
 さて、副題や目次をざっとみていただくとわかるように、その第1部から第3部までは「手紙」という形式が用いられています。なぜ、調査報告にあたるものを、私はあえて「手紙」として書いているのでしょうか。
 それは、この文章を、たんに「こんな話を聞きました」「こんなデータが得られました」といった調査内容の報告に終わらせるのではなく、部落の人たちと対話をおこなうなかで、「私という人間が、なにを思い、なにに驚き、なにを感じ、なにを考えたか」ということをきちんと相手の人に伝えられるような文体をあれこれと模索したことに端を発しています。
 そして、まずは、語っていただいた当の人へむけて、つぎには、研究者集団を越えたより多くの人たちへむけて書くという多重的な目的にかなう文体として、手紙という形式を選択したのでした。
 そのことが、じつは本書の題名でもある「エッジを歩く」という発想の誕生にも大きくかかわっているのです。
 たとえば、本書で提起している「(その気もないのに差別させられる、現代社会における)構造的差別」という考え方。これは、思いがけなく「差別者」と名指されてしまった人たち(つまりは差別をする側)の戸惑いや煩悶を理解するために考案した概念でした。 この概念が、先にあげた社会学的難問に一つの解決の道をひらくものであることは、わかっていただけるでしょう。
 ところが、差別される側の人たちにとっても、ときに自分の意志に反して差別に加担させられたり、差別する側になったりすることが避けられないこととしてある、という事実が、じつは部落での聞き取りのなかでもたびたび語られていたのでした。
 差別という現象にもっとも翻弄されてきたはずの差別される側の人たちもまた、自分がいつ差別する側になるかわからないという戸惑いのなかにおかれているということは、私にとって大きな衝撃でした。
 このように、現代社会においては、差別する側もされる側も、どちらも共に、(その意味内容はまったく異なるとしても)「差別者」と名指されるか、名指されないかのギリギリのエッジを歩いている(/歩かざるをえない)のだとしたら! 
 もしかすると、そこにこそ啓発や啓蒙の言説がとらえそこねていた、差別というものの剥きだしの生(なま)の姿があるのではないか?
 このような直観に導かれて、私は、《差別する者であると同時にされる者としての生(せい)のかたち(=生の倫理)》に着眼していくことになるのでした(この点については、詳しくは第3部をお楽しみに!)。

 まぁ、そんな小難しい議論はわきにおいて、まずは、15通の手紙を読んでみてください。
 これらの文章は、なによりも部落に入って私自身がうけた鮮烈な印象をお伝えすることをめざしています。
 そのなかには、もしかすると解放運動や人権啓発の『常識』と、ずれたりちがったりしている部分もあるかもしれません。あえてそのような点にふれたのは、部落の『実像』やそこで暮らす人びとの『ありのままの姿』を伝えるために、どうしても必要と思われたからです。
 それから、今後そうした議論の輪がひろがっていくきっかけとなれば、という期待もあったことを最後に申し添えておきます。
 では、これから私たちといっしょに豊かなフィールドの世界に足を踏み入れてみましょう。そして、そこに住んでいる数々の魅力的な人たちに出会ってみてください。

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