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よそ者/ストレンジャーの社会学

よそ者/ストレンジャーの社会学

これまでの「よそ者/ストレンジャー」に関する議論を整理し、グローバル化する現代社会における意義とこれからを再考する

著者 徳田 剛
ジャンル 哲学 > 思想
社会 > 社会学
出版年月日 2020/02/28
ISBN 9784771033139
判型・ページ数 A5・208ページ
定価 3,960円
在庫 在庫あり
 

目次

はしがき

序 章 「よそ者/ストレンジャーの社会学」の問い
 1 「移動の時代」における地域社会とよそ者
 2 よそ者/ストレンジャーの概念規定
 3 異人論の射程
 4 本書のねらいと構成

  第Ⅰ部 「よそ者の社会学」の系譜

第1章 ジンメルのよそ者論――概念規定と問題提起
 1 「よそ者の社会学」の問い
 2 よそ者の到来とホスト社会の対応――歴史的諸事例から
 3 ジンメルによるよそ者の概念規定
 4 アメリカ社会学におけるよそ者概念の継承――意味内容の広がりと移民論への適用
 5 「よそ者の社会学」についての問題提起とその後の展開

第2章 パークによるジンメル受容と移民研究への適用――ストレンジャー概念への翻訳とその応用の経緯
 1 ジンメル社会学とシカゴ・ソシオロジストたち
 2 パークのドイツ留学時代――ジンメル社会学との出会い
 3 『科学としての社会学入門』におけるジンメル社会学の位置
 4 パークの人種関係論の展開――社会的距離とマージナル・マン
 5 ストレンジャー受容からマージナル・マン論への展開

第3章 マージナル・マン論の展開――文化的ハイブリッドを読み解く
 1 人種間コンフリクトの発生メカニズムの解明に向けて
 2 パークによる問題提起――「人間の移住とマージナル・マン」
 3 マージナル・マン論の展開――ストーンクィスト『マージナル・マン――パーソナリティと文化コンフリクトの研究』
 4 マージナル・マン論の評価と批判的継承
 5 よそ者論から見たマージナル・マン論の評価

第4章 シュッツのよそ者論――移住プロセスにおける意識変容への問い
 1 亡命者の視点からのよそ者論の展開
 2 シュッツのよそ者論の概要
 3 シュッツのよそ者論の意義――ジンメル、パーク・ストーンクィストとの比較から
 4 考 察――「よそ者の社会学」の問題領域

  第Ⅱ部 「ストレンジャーの社会学」の展開

第5章 「ストレンジャーの世界」としての都市社会――ジンメル、ゴフマン、ロフランドの言説から
 1 「ストレンジャーの社会学」という問い
 2 都市社会の基本原理――ジンメル「大都市と精神生活」
 3 「ストレンジャーの世界」の広がり――都市社会論からポストモダン社会論へ

第6章 バウマンのリキッド・モダニティとストレンジャー論――社会秩序の基本原理とストレンジャーの排除
 1 「新しい近代」への問い――「ポストモダン」から「リキッドモダン」へ
 2 社会秩序とストレンジャー――同質性原理による異質なものの同化・排除
 3 バウマン社会学における社会秩序の基本原理
 4 「新たな近代」における秩序形成とストレンジャーの再-階層化
 5 バウマンの「ストレンジャー」をめぐる議論の位置づけとその評価

第7章 アーリのモビリティ論から見た「ストレンジャーの世界」
 1 「移動社会」としての現代社会
 2 「モビリティ・パラダイム」という視点
 3 「モバイルな生活」とはどのようなものか?
 4 「モバイルな生活」の功罪――社会生活の不安定化とハイ-リスク化
 5 「移動の時代」におけるよそ者論の再評価の可能性

終 章 「よそ者/ストレンジャーの社会学」の意義と展開可能性
 1 本書の概要
 2 ストレンジャー概念の意味構成――「異質な者」としてのストレンジャー
 3 残された三つの課題
 4 おわりに――「よそ者/ストレンジャーの社会学」の展開可能性

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内容説明


かつて「よそ者」は、警戒・忌避される存在であったが、定住社会から移動社会への移行、グローバル化による国境を越えた人口移動により、いまでは、その存在抜きには社会が成り立ちえないほど存在感を増してきている。

そもそも「よそ者」とは何者か? 
そして、「よそ者」への問いから何が見えてくるのか?

「よそ者/ストレンジャー」に関する、ジンメルのテキストを基点に、このテーマがどう論じられ展開していったのかを跡付け(第Ⅰ部)、人びとが「よそ者・ストレンジャーとともに/として」生きる現代社会の様相を考察する(第Ⅱ部)。

誰もがストレンジャーとして共生・共存する社会の構想に向けて多くの示唆を与える一冊。



重要なことは、「よそ者をいかに呼び込むか」にだけ固執することなく、受け入れ後のホスト社会とよそ者の関係形成(上手なもてなし方や接し方など)、よそ者の生活や社会参加に必要なサポート体制の構築について議論し、対応することである。「よそ者/ストレンジャー」をめぐる言説から、そうした課題について考え、取り組む際の多くの示唆を得ることができる。(「序論」より)




装丁 安藤紫野

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ためし読み

はしがき

 筆者が「よそ者」論なる、怪しげな研究テーマに埋没するようになったのは、今から20年ほど前だっただろうか。卒業論文、修士論文で取り組んだゲオルク・ジンメルのテキスト読解を中心とした理論研究と、卒業論文を提出した直後(1995年1月)に発生した阪神・淡路大震災の被災地での復興まちづくり調査。職業研究者を目指すにあたって、これらのおよそかけ離れた研究テーマを関連づけ、つないでくれたのが「よそ者」だった。
 筆者も阪神・淡路大震災で被災した一人であるが、あの日を境に、見慣れ、住み慣れた神戸の町がまるで別な「よそよそしい」ものに感じられたし、いったん被災地を出て大阪まで足を延ばしてみると、そこは震災前とまったく変わらぬ姿で、そんな自分たち「被災者」こそがよそ者であるかのように感じられた。戦後未曽有の都市災害と言われた阪神・淡路大震災をめぐる自身の体験や調査先で見聞きしたことは、一時避難や被災地からの転出によって「よそ者となる/よそ者である」ことの意味や、本書の主題でもある、よそ者の文脈を超えた「ストレンジャーであること」の本質を体感させてくれるような出来事であった。
 その一方で、よそ者という人間存在の意味についてユニークな見解を示したジンメルのテキストを基点として、後の世代の論者がこのテーマをどう理論的に展開していったかを追い始めると、実に興味深い継承の流れが見えてきた。ジンメルの大著『社会学』の中のわずか数ページにすぎない補説を英訳して紹介し、自身の人種関係論にもアレンジを加えながら導入していったR・E・パーク。「よそ者」を移住者に限定せず、「昨日やって来て今日立ち去る」訪問者もその範疇として加味しながら議論の展開をはかったM・M・ウッド。亡命者としての自身の立ち位置と現象学的社会学の視点から独自の議論を展開したA・シュッツ。これら古典期の社会学者たちのテキストを読み解きながら、その理論的な展開を跡付けていった。だが、そこまでは「一本道」であるかのように見えたよそ者論の系譜も、戦後の米国やドイツでの議論に差し掛かると流れが不明瞭なものとなり、よそ者論として現代まで読み通していくことに大きな困難を感じるようになった。そうした根本的な問題を抱えたまま取り組んだ博士論文「よそ者の社会学――近さと遠さのダイナミズム」でも十分に課題をクリアすることはできず、しばらく「お蔵入り」することとなった。
 その後、「よそ者の社会学」の研究に再着手するに至る、いくつかの転機があった。一つは、長く暮らした関西地方を離れて四国の大学に赴任したことである。そこでは、筆者が生まれ育った高度成長期のニュータウンにはまったく見られなかったような、地元の人々どうしの強い結びつきや郷土愛の表出が見られた。農村部、都市部のいずれにおいても血縁や地縁による濃い人間関係と、それに裏打ちされた地域コミュニティがしっかりと生きていた。そして、光の濃いところでは影も濃くなるのと同じように、「地元出身ではない=よそ者である」という自身の立ち位置が非常に強い意味を持つことを、日々感じさせられることとなった。
 また、当地でのカトリック教会とそこに集う外国人信徒の調査を始めたことをきっかけに、様々なテーマで地方でのフィールドワークを手掛けるようになり、これまでとは別の意味で「よそ者」を論じることの重要性を体感することとなった。地域の課題やまちづくり、地域振興などの活動に取り組む方々に各地でお会いしてお話をうかがっていくと、かつてはよそ者を警戒・忌避してきたようなところほど、近年では生存戦略の一環としてのよそ者の積極的招致や、よそ者に対する地域振興のキーパーソンとしての役割期待などに多く触れるようになった。地域振興についての専門書やメディアのニュースなどを見てみると、「U・I・Jターンなどの移住者の誘致」、「インバウンド観光」や「聖地巡礼」を念頭に置いた観光まちづくりの提案など、よそ者に関する案件のオンパレードである。皮肉なことに、かつてはよそ者の存在がまれであり、当然のように排除してきた地方部こそ、よそ者の存在抜きではその将来像が描けなくなってきている。調査先でも、「よそ者について研究している」と自己紹介した際に、「おもしろそう」「ぜひ詳しく聞きたい」といったリアクションをいただくようになった。
 地域の現場における「よそ者」への関心の高まりは、それを研究する側にも、この言葉についての問題意識を喚起しているのであろうか、近年は社会学でも理論研究・実証研究を問わず、頻繁にこの語の使用が見られるようになった。だが、筆者自らの「よそ者の社会学」をめぐる「苦闘」によって“実証”されているように、学術用語としての「よそ者」は、そのイメージの伝わりやすさやインパクトの大きさがある反面、学術的な分析概念としての「扱いづらさ」を伴う。今後、地域社会を考える際によそ者や移動者の問題がますます重要なものとしてクローズアップされていくのであれば、それらの語がどのような語義と分析効果を有していて、よそ者をめぐる社会学的考察によって何が見えてくるのかといった、これまでに筆者が取り組んできた仕事を公にすることは、現場の方々、同業の研究者の双方にとって意味のある、何らかの示唆をもたらすものとなるのではないかと思うようになった。
 現代社会では、多くの人びとが空間的に移動・移住するようになり、それに伴って各々の社会集団のメンバー構成、人間関係や集合形態、制度や運営のあり方などが、流動的で不安定、かつ予測困難なものになっている。よそ者やストレンジャーという用語は、そうした社会状況を説明したり、多様な人々による新しい社会のあり方を構想したりする際の一助となるであろう。本書を手に取ってくださった方々は、おそらくよそ者という言葉に直感的に惹かれたのではないかと想像するのだが、本書の内容が、そのような関心事に対する示唆や論点整理の手がかりを与えるものであるならば、大変うれしいことである。

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