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クィア・シネマ・スタディーズ

クィア・シネマ・スタディーズ

作品や表象のなかで、不可視化され、無視され、隠蔽されてきたものは何か。それらを「クィアなもの」としていかに再発見できるか。

著者 菅野 優香 編著
河口 和也
長島 佐恵子
出雲 まろう
赤枝 香奈子
前川 直哉
久保 豊
井芹 真紀子
宮本 裕子
矢野 ほなみ
秋田 祥
ジャンル 社会 > ジェンダー
社会 > メディア
芸術 > 映画
出版年月日 2021/11/10
ISBN 9784771035539
判型・ページ数 A5・196ページ
定価 2,530円
在庫 在庫あり
 

目次

序章 
クィアとシネマをめぐる思考と実践【菅野優香】

第1章 
クィア・シネマの歴史【菅野優香】
:『パンドラの箱』に見る可視性と共時間性
正しい間違い
可視性とは何か
クィアという方法論:複数の時間と歴史へ
『パンドラの箱』と誤引用
ルル/ブルックスのレズビアン的主体性

第2章 
アメリカ合衆国のゲイ解放運動の表象に向けて【河口和也】
:『真夜中のパーティ』から『ミルク』まで
ストーンウォール・インの暴動以前:『真夜中のパーティ』(ニューヨーク)
ホモファイル時代における「自己嫌悪」の物語
ゲイ・リベレーションの「ヒーロー」:『ハーヴェイ・ミルクの時代』(サンフランシスコ)
ゲイ・リベレーションの歴史化:劇映画としての『ミルク』

第3章 
溶け込まずに生き延びること【長島佐恵子】
: 映画におけるバイセクシュアリティ表象を読む
はじめに
バイセクシュアリティの表象をめぐって
〈壁〉をめぐる欲望
バイセクシュアリティをいかに視覚化するか
新しいバイセクシュアル表象へ

第4章 
崩壊へと横辷りする世界【出雲まろう】
:谷崎潤一郎「細雪」を読み/観る
「細雪」執筆時の時代雰囲気
音楽会と帯:谷崎の予言力
見逃されるクィア性:雪子の「下痢」
夢の幻影:女優・京マチ子
単純でない存在形態:雪子

第5章 
レズビアン青春映画としての『櫻の園』【赤枝香奈子】
はじめに
映画『櫻の園』における女性同士の関係
近代日本における(女性の)「同性愛」概念
「男装の麗人」
「レズ(ビアン)」と女性にとっての「性」
女子校というコミュニティ
おわりに

第6章 
ゲイ男性と結婚・恋愛・家族【前川直哉】
:『二十才の微熱』と『ハッシュ!』を男性同性愛の歴史に位置づける
はじめに
女性との結婚をめぐって
「兄貴」から「恋人」へ
ゲイ男性と「家族」:結婚との分離、そして再び結婚へ?
おわりに

第7章 
SOMEDAYを夢見て【久保 豊】
:薔薇族映画「ぼくらの」三部作が描く男性同性愛者の世代
薔薇の花が咲きひらいたとき
「ぼくら」三部作と世代間の交流
『ぼくらの季節』:子どもを育てること、永遠を誓うこと
男性同性愛者の若さと老い

第8章 
スクリーニング/アウト・ディスアビリティ【井芹真紀子】
:障害学とクィア・シネマ
クィア/フェミニスト映画とディスアビリティの表象
「スーパーヒューマン」表象と美的イメージ
FRのフェミニスト・ナラティヴと越境的身体
「語りの補綴」と取り除かれる身体 

第9章 
『東京ゴッドファーザーズ』におけるトランス女性表象と「エイズ」の語【宮本裕子】
:異性愛規範の外から中心への道程 
トランス女性としてのハナの表象:心理的な内面をもった個人とステレオタイプ
血液のイメージと台詞のなかの「エイズ」
死の可能性のなかを生きること


第10章 
クィア・アニメーションの可能性【矢野ほなみ】
アニメーションにおけるクィア・アニメーションの位置とは? 
クィア・アニメーションとどう向き合うか
メディアとしてのアニメーションとクィア
クィア・アニメーションを制作すること
これからのクィア・アニメーション


第11章 
ビート ゴーズ オン【秋田 祥】
:エイズやクィアに関する映像の上映を続ける理由
知られざる結末たち
燦然たる存在
ノット オーヴァー
斬新な幕開け

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内容説明

ジェンダーやセクシュアリティの規範性やカテゴリーの境界線を問い直す概念としての「クィア」は、LGBTブームのはるか以前から、映画文化を通じて日本に流入し、その地平を広げてきた。
作品や表象のなかで、不可視化され、無視され、隠蔽されてきたものは何か。それらを「クィアなもの」としていかに再発見できるか。
あつかう地域や新旧問わず、幅広い作品を様々な方法論で論じた本書は、クィアとシネマをめぐる思考と実践のアーカイヴである。



「フェミニズムやゲイ・レズビアン・スタディーズを土台に、ジェンダーとセクシュアリティの問題を人種や階級、障害といった他のアイデンティティや生の様態との関連において再配置したクィア・スタディーズを映画研究に接続することを本書は目指している。接続とは、映画研究とクィア・スタディーズの融合ではなく、映画研究へのクィアな介入と、クィア・スタディーズへの映画的介入という、いわば「二重の介入」のための接触を意味している。」
(序章より)




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